家族葬
膠原病で入院していた叔母が亡くなりました。
昔かたぎで、厳しいところもありましたが、
子供がいなかったこともあって、私のことを大変かわいがってくれた人でした。
年末ということもあり、家族葬で送りましたが、
わざとらしい演出めいたMcを聞かされることもなく、
内内の親戚だけで、いろいろな思い出話をしながら見送ることができて、
却ってよかった感じでした。
亡くなる前は、連日病院で、
通うのは大変だったものの、
これまで知らなかった昔話を聞いたり、
一緒に言った旅行の話をしたり。。。という時間が持てたことも、
いまとなってみれば、本当に良い時を過ごせました。
と、いえるのも、母や義妹、もう一人の叔母と
交代で介護できたからかもしれません。
介護は、いつ終わるかわからないもの。
一人きりで抱え込むのは、肉体的にも精神的にも難しいですよね。
なるべく自分からヘルプの声を上げる、
また周囲も、少しの時間、わずかな日数であっても、
「ここならいかれるよ」と、声をかける、というのが、
介護を乗り切るうえで、大事なことなんだ、と実感しました。
最後の最後まで、たくさんのことを教えてくれた叔母に感謝の気持ちを込めて、
「本当にありがとう。どうぞやすらかに」
昔かたぎで、厳しいところもありましたが、
子供がいなかったこともあって、私のことを大変かわいがってくれた人でした。
年末ということもあり、家族葬で送りましたが、
わざとらしい演出めいたMcを聞かされることもなく、
内内の親戚だけで、いろいろな思い出話をしながら見送ることができて、
却ってよかった感じでした。
亡くなる前は、連日病院で、
通うのは大変だったものの、
これまで知らなかった昔話を聞いたり、
一緒に言った旅行の話をしたり。。。という時間が持てたことも、
いまとなってみれば、本当に良い時を過ごせました。
と、いえるのも、母や義妹、もう一人の叔母と
交代で介護できたからかもしれません。
介護は、いつ終わるかわからないもの。
一人きりで抱え込むのは、肉体的にも精神的にも難しいですよね。
なるべく自分からヘルプの声を上げる、
また周囲も、少しの時間、わずかな日数であっても、
「ここならいかれるよ」と、声をかける、というのが、
介護を乗り切るうえで、大事なことなんだ、と実感しました。
最後の最後まで、たくさんのことを教えてくれた叔母に感謝の気持ちを込めて、
「本当にありがとう。どうぞやすらかに」
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